2013年7月8日月曜日

「宗教心と美しさ」

宗教的であるということはどのようなことか、知っていますか。寺院の鐘は遠くですてきな音がしますが、それとは関わりがないし、また礼拝や宗教家の儀式やその他の無意味な儀礼とも関わりがありません。

宗教的であるとは真実に対して敏感であることなのです。君のすべてがーー身も心も頭もーー美しさと醜さ、杭につながれたロバ、この街の貧しさと不潔さ、笑いと涙、まわりのあらゆるものに敏感です。存在全体へのこの敏感さから、善や愛が溢れます。そして、この敏感さなしでは、才能があり、立派に着飾り、高価な車に乗り、周到にきれいにしようとも、美しさはないのです。

愛はとてつもないものでしょう。自分のことを考えているなら、愛せません。それは、誰か他の人のことを考えなくてはならない、ということではないのです。愛はあり、それに対象はありません。愛する心は、真実、真理、神の動きの中にあるため、本当は宗教的な心です。

そして、美しさとは何かを知りうるのはそのような心だけなのです。どんな哲学にも囚われず、どんな制度や信念にも閉ざされず、自分の野心にも駆りたてられず、したがって敏感で鋭く、見つめている心ーーそのような心には美しさがあるのです。


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