自分が、なんかドデカイ括りの中の「一部分」っていうことをなぜ受け入れる必要がある? 日本人だから。国民だから。県民だから。会員だから。学生だから。社会人だから。若者だから。青年だから。年寄りだから。弟子だから。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年5月1日
→そんな括りの一体なにが私のことを決めるんだ?だからなに。なんでもないじゃん、ソレって。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年5月1日
「日本人だから、こう。」じゃなくて、「こう。だから日本人。」なだけ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年5月1日
出来るだけ心がけていることがある。
「用語を使わない」こと。
何かと難し気な言葉で、華麗な説明をする人がいるけども、
つい言葉遊びになって堂々巡りの自己満足になってたりするのを見かける。
だから、用語を使わない。
発想を言葉の枠に当てはめない。
カテゴライズしない。
名付けない。
自分もそう。
自ら枠にハマりに行かない。
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