2013年3月4日月曜日

体質的に無自覚に幻想を共有する集団

功徳があると信じて健気な活動を続ける人達も、
みんながみんな本当に納得してるわけじゃなくて、
「財務なんかしても何もいいことなかったじゃないよ!」と時折見せる感情の爆発がある。
そういうの見るたびに平然と功徳を説くヤツらに怒りを覚える。

こんなこと言うと、
宗門さんとかは「そりゃオタクは偽本尊だからねw」てな感じやろけど、
それもほら、功徳を安っぽいご利益と思い違ってるってこと。

財務に功徳がないのは当然だ。
功徳とは我が身に顕わすもの。振る舞いに現れるもの。縁を紡ぎ感じるもの。
お金で買えるようなものだと言うなら、逆に願い下げ。

財務に功徳がないと嘆くご婦人に対して、
会の中からも思い違いを指摘される人は多いかもしれん。
財務は真心だとか、功徳を期待してやるものではないだとか。

しかし、財務の前には婦人部を対象に「こんな見返りがありました」という体験談を
財務の功徳体験として叩き込む集会が何度も開かれるのは事実。

それを会の意向、体質と言うのが間違いだとは私は思わない。


0 件のコメント:

コメントを投稿