功徳があると信じて健気な活動を続ける人達も、
みんながみんな本当に納得してるわけじゃなくて、
「財務なんかしても何もいいことなかったじゃないよ!」と時折見せる感情の爆発がある。
そういうの見るたびに平然と功徳を説くヤツらに怒りを覚える。
こんなこと言うと、
宗門さんとかは「そりゃオタクは偽本尊だからねw」てな感じやろけど、
それもほら、功徳を安っぽいご利益と思い違ってるってこと。
財務に功徳がないのは当然だ。
功徳とは我が身に顕わすもの。振る舞いに現れるもの。縁を紡ぎ感じるもの。
お金で買えるようなものだと言うなら、逆に願い下げ。
財務に功徳がないと嘆くご婦人に対して、
会の中からも思い違いを指摘される人は多いかもしれん。
財務は真心だとか、功徳を期待してやるものではないだとか。
しかし、財務の前には婦人部を対象に「こんな見返りがありました」という体験談を
財務の功徳体験として叩き込む集会が何度も開かれるのは事実。
それを会の意向、体質と言うのが間違いだとは私は思わない。
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