彼らは不安ゆえに自由になどなりたくないのだ。宗教だけの話じゃなく、あらゆる場面で、保証と制約のある道しか歩まない。彼らと同じメンタルのまま、制約に文句を言ってる人が多いのだけど、それは引き換えにしているという自覚がたりないだけの無い物ねだりだ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
そういう人に対して彼らが説教したがる気持ちは分かる。しかし、その保証が要らないんだと言っている私のスピードに彼らはついて来れない。そのことにも気づかない。前を歩いてるつもりでモノを言いたがる。路線そのものが違う。@shirayuri_kun
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
結局のところ、彼らの主張は、
「こうすれば、成仏できる。幸せになれる。」っていう話なわけだ。
当然、裏返せば、
「こうしなければ、成仏はない。幸せになれない。」って話だ。
で、私は、「彼らの言う成仏や幸せは、本当の成仏や幸せではない」っと言っている。
「それは結構です、私には必要ありません」と言っているんだ。
信心で幸せになりたいと言いつつ、
その条件は飲めませんねぇ・・・というのは我侭だっちゅう話。
あ。だからって学会の現状肯定じゃあない。
いまやその「条件」がおかしすぎっちゅうのは、確かなんだけどね。
私は、学会について、単に不満を述べているのではなく、
根本から否定してるっちゅう話。
だからもう、「愚痴はいけませんよ」ってな説教はやめておくれ。
自ら望んで家畜となり、安心を買う人達に、自由になれっちゅうのは酷な話だ。しかし彼らは、家畜化されてない人を見て心配し、家畜がいかに安心かを説き、拒否した人々の生きる様を見て嘲笑う。何がそうさせてしまったのだろう。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月28日
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