更に言えば、だからこそ信心に師匠などという存在はあり得ないということを言いたい。@shirayuri_kun
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年3月21日
このすごく単純な話が、どれくらいの人に通用するんだろう。
喜んだり、幸せを感じたり、感謝したり、
それはすべて自分の中から湧き出した時に自分のものになる。
「友のために尽くすことこそ幸せ」だとか、
「報恩感謝の心こそ最も尊い」だとか、
人に教わって、「よっしゃ、そうしよう」…なんて発想は、
「こうすれば幸せになる」という条件の元に動いているだけ。
たとえ思った通りになったとしてもだ、
それは借り物であって、さらには、
条件を与えてくれたナニモノかに報恩と服従を強いられるっちゅう罠にハメられている。
まんまと手枷足枷をハメられてしまうんだ。
真の宗教指導者なら、
その意味をちゃんと理解して、
「友のために尽くすことこそ幸せ」なんてスローガンは使わないし、
「断じて勝て!」なんて言わないね。
指導者の器じゃないのさ。
てゆっか、真の指導者なら、そもそも師匠になろうとはしないわな。
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