2013年2月2日土曜日

「仏法は勝負」を根本としない

「仏法は勝負」とか言って、
「戦いましょう!勝ちましょう!」が合言葉の某教団。
その一部抜粋の元となる一文。

「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」(「四条金吾殿御返事」1165頁)

「さきとし」「本とせり」は対応していて、
「さき」とは前にあるという意味ではなく、
「根」に対して「葉のさき、枝葉」との解釈をちょいちょい見かける。
ということは、勝負が根本ではないということ。

「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」
(「四条金吾殿御返事」1169頁)

仏法は道理(正しい)。道理(正しい)は勝つ。
仏法は、正しいから勝つ。
「権力者がどんな横暴を言おうと、正しいものは正しい。」
それが「道理と申すは主に勝つ物なり」。

この一文は、
「仏法は勝負」などではなくて「仏法は勝つ」ということ。

この「勝つ」という表現は、
例えば、勝負事に勝つということではなくて、
正しくあるという満足した心の状態を、
勝った状態と表現したのだと思う。

戦いだの勝負だのといった
目標を達成する = 勝つ
ではなく、
正しいと思う生き方で日々を生きる満足 = 勝つ
だと思うっすよ、かっぱ的に。

イズムの罪~「勝負主義」と「現証主義」について