いかなるレベルでも、ほしい、なりたい、獲得したいという欲望があるかぎり、そこには必然的に心配や悲しみや恐怖があるのです。
豊かになりたい、あれやこれになりたいという野心は、野心自体の不潔さや腐敗性が見えるときにだけ、なくなります。
どんな形の権勢欲もー首相、裁判官、宗教家、導師としての権勢欲も根本的に悪いとわかった途端、もはや権勢欲は持ちません。
しかし、私たちには野心が腐敗的なこと、権勢欲が悪いことが見えません。反対に善いことのために権力を使おう、と言うのです。
これはまったくのたわごとです。まちがった手段は正しい目的のためには決して使えません。
手段が悪ければ、目的もまた悪いでしょう。
善は悪の反対ではないのです。悪いものがまったくなくなった時にだけ、善は生じてくるのです。
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戦いの中に身をおくということは、勝ちたいという欲望を持つことだ。それは目的のための手段の一つだとか言っても、生きてる時間は今だけとすれば、間違った手段に身をおく今が間違っているなら、目的も間違ってることになる。わかるか?これが本当の因果だ。
— 山本かっぱさん (@shirayuri_kun) 2013年2月10日
ときどき、目的のための手段…という言い方をする。
それが間違っていたり、退屈だったり、望まない現実を辛抱するための言い訳だったりする。
しかし、生きているのは今だけ。
だとしたら望まない現実こそがリアルで、目的はそこに存在しない。
目的を目指し、手段に生きる限り、幸せは来ない。
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